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歴史ゲーム「戦国無双5」おすすめ武将「前田利家」 ~歴史勉強にチャレンジ!~

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こんにちは。

 

以前ご紹介した戦国無双5について、今回は本作の無双武将である前田利家についてご紹介します!

 

おすすめ歴史ゲーム 「戦国無双5」6/24販売開始① ~歴史勉強にチャレンジ!~ - 表裏一体ポジティブブログ~悪いことも視点て良いことに思おう~

 

 

 

利家と信長

前田利家は尾張で前田家の四男として生まれました。幼名は犬千代と言います。

 

そこで当時尾張の那古城主の織田信長に仕えることとなりました。信長のほうが少し年長だったようで、地元のやんちゃなお兄さんという感じでしょうか。

 

当時信長は奇怪な格好をしていたので「うつけ者」や「傾奇者」と言われており、取り巻きも同じ格好をしていた、いわゆる不良グループの一員のような感じでした。
そこで信長と利家は性的関係があったとも言われております。

謹慎

信長は父である信秀が無くなった後、弟の信行と家督争いを行います。

 

「うつけ者」と言われる信長と、素行が良いという評判の信行では、当初信行のほうが人気がありました。後に信長の筆頭家老となる柴田勝家も最初は信行側についていました。

 

そんな中、利家はずっと信長の味方であったため、信長も利家のことを信頼していました。その後、信長は信行に勝ち、尾張も統一したことで信長の下、利家は順調に出世していくと思われておりました。

 

しかしそんな中、信長お気に入りの茶坊主と揉めて最終的には斬ってしまったことで、利家は信長の怒りを買い謹慎させられてしまいます。

 

この謹慎は2年にも及んだとされています。これは賢妻で知られるまつと結婚してすぐのことだったようです。


謹慎中は苦しい生活をしていたようで、多くの知人・友人が離れていったとのことです。このことから人間苦しいときにでも仲良くしてくれる人が本当に信用できると思ったと言われております。その中には生涯の友となる秀吉もいたのでしょう。

 

その後、利家はなんとか汚名を返上しようと、こっそり桶狭間の戦いやそのほかの戦場に参加し、軍功を上げました。それが認められ復帰することができ、「赤母衣衆」というエリート部隊に抜擢されました。

 

また信長の命令で前田家当主にもなることができました。当時前田家は利家の兄である利久でしたが、利久には子供がいなく妻の連れ子を、跡継ぎに指名しようとしていましたが、信長から利家を次期当主にするよう命令がでました。この件で利久とその連れ子は、前田家を出ていくことになりました。ちなみにこの連れ子は後の天下の傾奇者「前田慶次郎」でした。

 

柴田勝家軍団の一員

信長が全国に領土を広げていく中、多方面軍を組織し、各地に有力武将を派遣しておりました。前田利家は、北陸方面で対上杉家として大将を任された柴田勝家のもとに派遣されました。

 

この時、秀吉は一軍を率いていたので、信長としては利家は武力はあるものの一軍を指揮するには信長有力家臣の中では少し劣るという評価だったのかもしれません。

 

利家はこの北陸方面軍でも、引き続き活躍を続け、信長から能登一国を受け、大名の仲間入りをします。

 

このまま順風満帆にいくかと思いきや「本能寺の変」が起こり、利家の取り巻く環境は大きく変わっていきます。

 

葛藤

本能寺の変が起きた時、柴田率いる北方方面軍は即座に動くことができず、

結果羽柴秀吉がかたき討ちをしました。

 

その後、織田家の今後を話し合う「清須会議」が開催され、敵討ちを果たした秀吉の発言力が大きくなり、次第に勝家と秀吉に亀裂が生じてきました。

 

利家は勝家の部下であった一方で、秀吉とはとても仲が良く、両者のどちらにつくかとても悩んだと思います。

 

そして両者は「賤ケ岳の合戦」で争うことになり、利家は柴田軍として布陣しましたが、持ち場を放棄したことで、柴田軍は敗退することになりました。

 

これによって秀吉は織田家を牛耳ることができ、利家は秀吉の下でさらに領土を拡大していくこととなりました。

 

 

豊臣秀吉政権の重鎮

秀吉が天下を統一した後、悩みの種はいかに自分の子に跡を継がせるかでした。

秀吉は元々子がいなく、当初は甥の秀次に継がせる気でしたが、晩年に秀頼が産まれます。

 

秀吉は秀次を自害に追い込んで、秀頼に継がせる準備をしますが、秀吉はその時点でかなりの歳で、いつ寿命がつきるかわかりませんでした。

秀吉亡き後、幼子の秀頼が天下を治めるのはそう簡単なことではなく、だれが裏切ってもおかしくない状況でした。

 

その筆頭が徳川家康です。秀吉は戦では家康に勝てず、自分の妹を家康に嫁がせ、母まで人質に送ってようやく恭順させて相手です。

秀吉が亡くなれば必ず政権を奪取しにきます。それは織田信長・信忠親子が亡くなったときに、秀吉自身がそうしたので、よく分かっていたと思います。

 

そこで秀吉は、信頼の厚い大名に秀頼を託すことしたのですが、子飼いの武将である加藤清正や福島正則はまだ若く、家康に対抗できる重鎮ということで利家が選ばれたのでした。

 

これによって利家は大大名となるのでした。

 

そして秀吉の死後、横暴なふるまいをはじめた家康を利家は制していました。

しかし秀吉の期待もむなしく、利家も寿命が尽きてしまいます。

 

そしてあの関ケ原の戦いへと続いていくのでした。

 

さいごに

私の前田利家評ですが、優秀なサラリーマンという感じです。

若いころは槍を使って成果をあげ、経験を積んでからは部隊を率いて活躍をするものの、トップには向いていなく、誰かの指揮のもと能力を発揮する印象です。

もし利家のほうが家康よりも長生きすれば、関ケ原の戦いは起きず、豊臣政権が続いていたかもしれませんね。

 

戦国無双5では史実と同じく得意の槍を使った多彩なアクションがみれそうです

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〇明智光秀についてはこちら

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